2012年4月4日水曜日

図書館利用のすゝめ


普段本を読まない人は、学校を卒業した後、なかなか図書館に足を運ぶこともないかもしれません。
しかし、図書館は文字ばっかりのお堅い本だけではなく、ファッションやトレンド、ビジネス、趣味などの雑誌新刊や、漫画、CDなども揃っています。
しかも都内の図書館はインターネットからデータベース検索、予約も出来、非常に便利になっています。
それらの公共のサービスは全て無料です。
もう少し言えば、全ては税金で運営されているのですから、利用しなければ損です。

住 んでいる地域でサービス内容は異なるのですが、まずは近くにある図書館をインターネットなどで調べてみましょう。利用するために図書カードを発行する必要 がありますが、もちろん費用は無料です。
東京の場合、図書カードは区内市内共通です。例えば読みたい本がその図書館になくても、同じ管轄内の図書館から取り寄せることが可能です。


【資料探しのコツ】
すぐにでも読みたい本、聴きたい音楽があるのであれば探すのは簡単なのですが、何となく海外旅行関連とか、最近の時事や、ジャズで有名な曲といった曖昧な対象の場合は見つけるのも大変です。しかし図書館のウェブサイトからキーワード検索や、出版年、出版社、著作者などで検索ができるので、図書館に行かなくても家で探して、予約を入れる事もできるのです。


上記は練馬区図書館の参考例ですが、検索画面からタイトル・著者・出版社検索が可能で、さらにCDなども対象です。
予約をすれば、区や市内の図書館から最寄りの図書館まで配送してくれます。
 
【資料のデータベース化】
最近ではiPadなどタブレット端末などの普及に伴い、電子書籍も増えてきたように感じます。国立国会図書館では、貴重資料や古い文献などをデータベース化し、近代デジタルライブラリーという形で一般公開しています。
これらの動きは、今までと比べて都市部に暮らしている方が情報収集において有利といった地方格差も大幅に軽減されるでしょう。



国立国会図書館の近代ライブラリーでは、著作権の保護期間が満了した図書をデジタル公開しています。
iPad等のタブレット端末との相性も良く、学生や研究職に従事している方には、かなり有効なシステムです。

昨今では、現代人の読書離れをよく耳にしますが、実際には情報収集の媒体がインターネットやスマートフォンに変化しただけで、時代の変化と共に形が変わるのは否めない事なのかもしれません。
しかし、これだけ情報がありふれ、ボタンひとつでニュースが検索できる社会でも、実際にページをめくり、紙の手触りを感じながら活字を読むという行為に、煩わしさなどは感じませんよね。新しい本を読むときの高揚感は皆さんお持ちのはずです。
図書館は知識の宝庫です。
大人になってから利用する図書館は、また違う趣向を感じられると思います。
是非お気軽に足を運んでみて下さい。


Yasuhiko Kondo


2011年10月18日火曜日

JAPONISM -comparison between art and photograph- ジャポニズム-浮世絵と写真の比較-


Japonism, or Japonisme might be considered a general term for the influence of the arts of Japan on those of the West, whereas in France Japanisme is applied to such influence and is in addition the name of a specfic French style.
From the 1860s, ukiyo-e, Japanese wood-block prints, became a source of inspiration for many European impressionist painters in France and elsewhere, and eventually for Art Nouveau and Cubism.

ジャポニズム、あるいはジャポニスムとは、フランスを中心とした西洋に影響を与えた日本美術への影響・心酔のことを言います。さらにフランス芸術の特別な技法とも。
1860年以来、浮世絵、木版画などがフランスを含むヨーロッパの印象派や、アールヌーヴォー、キュビズムの多くの画家らのインスピレーションの源になりました。

This time I will write regarding the origin of Japonesim, in other words it is Japan in those days.
Japanese artists of Ukiyoe were inspired by Kachohugetsu(花鳥風月), that's nature, animals, seasons in their country.
The report tries to compare between prints(Ukiyoe) and old photographs each in similar situasions.

今回はジャポニズムの根源、当時の日本について書きたいと思います。
日本の浮世絵師は日本の自然、動植物、季節など”花鳥風月”から着想を得ました。
この論文ではそれぞれ同様の場面の浮世絵と古写真を比較します。

Mt.Fuji is behind several bulls(horses) and packhorse drivers. bulls(horses) carry loads on their back.
Ukiyoe by Hokusai Katsushika
馬子と荷物を運ぶ複数の牛(馬)、背後には富士山が見える。
Some carpenters follow each works. A man  saws a pillar on it.
Ukiyoe by Hokusai Katsushika
数名の大工がそれぞれの仕事に従事している。一人は支柱の上でそれを切っている。
Many people guests are holden up by some men across a river Sakawa-gawa.
Ukiyoe by Hiroshige.
男たちに支えられる客ら、多くの人々が酒匂川を渡る。
Three Geisha girls are standing nearby a tree. It still looks very young.
Ukiyoe by Hiroshige.
三人の芸者の娘たちが木の傍で佇んでいる。まだ見た目にはあどけなさが残っている。
Saru-hashi spans the Katsura river is still living in Yamanashi Prefecture even now.
Ukiyoe by Hiroshige.
桂川にかかる猿橋は未だ山梨県に現存している。

 I presume Europian people in those day who are influenced by Japonisum, might been interested in something of spiritual or mysterious in Japan. However it is fact that we have still had such thing. Understanding what it is, must be a urgent problem for that we shoud be Japanese .

ジャポニズムに影響を受けた当時のヨーロッパの人々は、日本の精神や神秘性に惹かれたのかもしれません。しかしながら実は私たちは未だにそれらを残しているのです。それらを知ることが私達が日本人である為の、当面の課題に違いありません。

Yasuhiko Kondo

2011年7月13日水曜日

PAST AND PRESENT ON PHOTOGRAPHS


Collecting old photos, it is one of my hobbys.
The old photos have us recognize a life, culture, and atomosphere in those day. 
Then I tried to compare the old picture with present picture on same places. 
Between two pictures, have the distance about 100 years.
incidentally, the left is the past one, the right is the present one.
Please look below pictures through...

私の趣味の一つに古写真収集があります。
古写真は当時の生活、文化、雰囲気を感じさせます。
そこで同じ場所で撮られた過去と現在の写真を比較してみました。
2枚の写真の間には、100年ほどの隔たりがあります。
ちなみに左が過去、右が現在です。
下記の写真群をご覧下さい。


Enoshima at Kanagawa-ken  神奈川県江の島
[left] A packhorse driver is walking along the shore. can look the Enoshima at the back.
[right] There is a couple on a paved road they are looking the shore with the setting sun.

Enoshima at Kanagawa-ken  神奈川県江の島
[left] There are two men and some boats for fishing, coming out the way to Enoshima with the edd.
[right] the strongly-built bridge has been constructed to Enoshima.


the Great Buddha at Kamakura 鎌倉の大仏
[left] around Budda is very simple, a man pray to Budda on his knees.
[right] this place is one of most famous sights now in Kamakura .

a hot-spring town Ikaho 伊香保温泉街
[left] Ikaho is taradional hot-spring town, it was a calm atomosphere in those day.
[right] buildings and alley have been changed to modern structures.


Kaminari-mon Nakamise at Asakusa 浅草雷門仲見世
[left] many people are walking between shopping arcades.
[right] shopping arcades have been renovated to electronic signboards. 

Just a 100 years, but the scenery on pictures has changed clearly. I wonder how world were if it is 500 years ago or 1000 years ago. unfortunately we can see the existing old photos are until 150 years ago at oldest. I would like to go and see an old world been known by the history and legend if my dream come true.

たかが100年、しかし写真の風景は明らかに変わっていました。もし、それが500年前、1000年前だったら世の中はどうだったのでしょうか。あいにく現存する写真は最も古くても150年前くらいのものです。もし願いが叶うのなら、歴史や伝承などで知られる過去の世界へ行って見てみたいものです。

Yasuhiko Kondo

2011年7月10日日曜日

東京の地名の由来



今回は東京の地名という限定的な題目なので、日本語でのみ表記させて頂きます。
東京にお住まいの方にはなかなか興味深いのではないでしょうか。

もともと東京は江戸という名の都市でした。江戸は鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』が史料上の初見で、おおよそ平安時代後半に発生した地名であると考えられています。江戸の”江”は川あるいは入江とすると、”戸”は入口を意味するから「江の入り口」に由来したと考える説が有力です。東京は京都から遷都される際、東の京都という意味で、東京と呼ばれるようになりました。

現在の東京都内の地名は、江戸時代や中世から引き継がれている場合が多いのですが、あまりに古い地名は由来も曖昧なものも少なくありません。
ここではいくつかの地名由来を挙げてゆきたいと思います。

まず、東京の代表的な地名は江戸城や幕府が名前の由来になっているものが多いです。 現在、皇居の立地する場所に江戸城があり、それを囲むように内濠(内堀)、外濠(外堀)がありました。 外堀の一部は今も神田川として存在してますが、日本橋川は首都高に蓋をされた形になり、その他の多くも戦後に埋め立てられました。しかし、そこに架けられていた橋は地名に残りました。現存するものもあるのですが、日本橋水道橋浅草橋飯田橋新橋数奇屋橋が代表的な例です。 さらに江戸城を取り囲む多くの門も地名になり、半蔵門桜田門虎ノ門御成門、大手門付近を大手町と呼びました。そして見張り番が置かれていた城門などの施設を”見附”と呼称しますが、赤坂見附もその一つです。江戸城の御殿は本丸と呼ばれ外堀の内側が御曲輪内(おくるわうち)、今の丸の内になります。ちなみに江戸城の別名は千代田城と言いました。

当時、幕府に関わる名称には敬意を称して”御”をつけました、例をあげると御家人、御三家、大御所などがありますが、幕府が預かる歩兵のことは御徒(おかち)と呼ばれ、彼らが住んだ長屋が多く所在した町を御徒町
上記にもある将軍が芝増上寺の参内を迎える際に用いる門を御成門。近辺の湧水から将軍のお茶用の水として献上されたことから、御茶ノ水
現在観光地として賑わっているお台場(御台場)は、幕末の黒船来航による海防対策によって幕府によって普請された、複数の砲台の台場から由来しています。

そして当時江戸幕府には”金座”と”銀座”という金と銀の鋳造所がありました。金座のあった場所は現在日本銀行が立地されており、銀座は日本を代表する繁華街として知られています。

動物に由来した地名もいくつかあります。徳川御三家が利用していた鷹場(鷹狩りの鷹の訓練場所)は三鷹、1636年、徳川三代将軍家光により旗本達の馬術の訓練や流鏑馬などのための馬場が造営されたところが高田馬場、古代の武蔵国にあった馬牧が駒込馬込、「神崎牛牧(ぎゅうまき)」という牧場だった場所が牛込と呼ばれてます。

また、江戸時代には、日本各地に通じる五街道が整備され、起点となる日本橋から最も近い宿場が江戸四宿として栄えました。品川宿、板橋宿、千住宿、内藤新宿はそれぞれ品川板橋千住新宿として今も名前を残しています。

他に変わった地名は八重洲で、江戸時代に住んでいた徳川家康の国際情勢顧問や通訳オランダ人ヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン(Jan Joosten van Lodensteyn)の和名「耶楊子(やようす)」から由来します。有楽町は江戸開府の際に織田信長の弟、織田長益(有楽斎)が徳川家康より数寄屋橋御門周辺の土地を拝領し、屋敷を設けたことが由来というのが有力な説です。

その他にもまだまだ由来のある地名はあるのですが、それはまた違う機会に書きたいと思います。


近藤 裕彦

2011年7月6日水曜日

陰翳礼讃 -IN PRAISE OF SHADOWS-


"The quality that we call beauty, however, must always grow from the realities of life, and our ancestors, forced to live in dark rooms, presently came to discover beauty shadows ultimately to guide shadows towards beauty's end."
This is a quotation from the "In Praise of Shadows", is an essay by novelist Junichiro Tanizaki.

「美というものはに生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを餘儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。」
これは小説家、谷崎潤一郎が著した「陰翳礼讃」という随筆からの引用です。

The light and shade are made much by the Japanese buildings.
 In Japan, has made much of the balance between the light and the shadow from ancient time.  
The shadow is also the one of factors constitutes Wabi-Sabi, represents a comprehensive Japanese world view or aesthetic centered on the acceptance of transience.
It was natural that had a infuluence on the field of architecture, fittings, crafts, food, cosmetics, and all of our culture. 

日本では太古から光と影の調和が重んじられてきました。そして陰翳は日本の総括的な世界観や儚さなどの美意識を代表する侘寂(わびさび)の心を構成する要素でもあります。それらは当然、建築、家具、工芸、料理、化粧などあらゆる文化に影響を与えてきました。


Wabi-Sabi is the one of Japanese values.
However, nowaday, it is being losed by the brilliance of modern electric lighting. 
I think it is safe to say that most of people have already forgotten a mind for the shadows. But, we have met a unprecedented big disaster this year, now forced us to have the large-scale conservation of electricity as national level. ironically, it gives us a oppotunity be able to sense the world is brought by the shadows again.  
It may be not until men lose something that realize its value.

しかしながら、現在、それは近代の採光や照明の設備がもたらした「明るさ」のおかげで失われつつあります。大多数の人たちが陰翳への観念を忘れてしまったと言っても過言ではないでしょう。しかしこの国は今年かつてない大災害に遭遇し、現在、我々は国単位の大規模な節電を余儀なくされています。皮肉なことに,それが我々に陰翳がもたらす世界を再び実感できる機会を与えてくれているのです。ひとは何かを失ってはじめてその価値に気付くのかもしれません。

Yasuhiko Kondo